体罰がダメなんじゃなくて暴力がダメ

いつからか「体罰」が厳しい目に晒されるようになってきた。

僕が小学生や中学生の頃、先生たちは生徒をビンタしたり蹴ったりしていたし、親世代になれば、その「体罰」の限度はもっと酷かったといわれている。今なら社会的大問題になるほどに。

僕は「体罰」には反対だ。

学校という場において、先生と生徒という平等ではない上下関係において、どうせ逆らえないことを知って手をあげるのは卑怯だし、許されることではない。

「愛のムチ」なんてものがあるようだけど、先生と生徒という全くの赤の他人じゃ、よほどの信頼関係がないと通じないんじゃないか。それこそ、そのムチを使うときは、先生も辞表を書いておくくらいの覚悟が必要だろう。

ただ、「体罰」に苦言を呈する報道などを見て、少し違和感を覚えることもある。

それは、その苦言が「体罰」という、いわば言葉が作り出すイメージに向けられているように感じることだ。

「体罰」とは、まさしく「暴力」で、批判されるべきは、その本質。先生から生徒への「体罰」がダメなんじゃなくて、誰であろうとも「暴力」に訴える者は咎められないといけない。

最近は、先生を殴る生徒もいるようだ。どうせ逆らえないことを知って――。

とんでもない話だ。こういう奴らには、どんどん法的責任を負わせれば良いと思う。学校を聖域化して現実社会から隔離してしまうから、いじめも無くならない。

言葉は本当に大切だ。わざわざ「体罰」と別の言い回しをしなくても「暴力」で良い。「いじめ」なんて言い方は止めて「傷害」とか「人権侵害」で良い。

言葉によって、人は事態の深刻さに気付くこともある。子どもたちを育てる教育の場なら、なおさら正しい言葉を使わなきゃいけない。

「暴力」はダメ。それは法律で決まっている。

なんとなくの雰囲気や昔からの習慣・しきたりよりも法を重視しないと、ますます世の中がおかしくなってしまう。

そんな気がする。

■小説「たいまつバンク」⇒ http://estar.jp/_work_viewer?p=1&page=1&w=24614597&ws=0

■小説「ベジソルジャー」⇒ https://estar.jp/_work_viewer?p=1&page=1&w=24821069&ws=0

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