熱中をあきらめない

「僕は何かに熱中したことがない」

今までそんなふうに思っていた。

けれど、少なくとも自我が強くなり始めた思春期以降においては、学校生活に熱中していたし、大学ではサークル活動に熱中していた。

「熱中していた」を「楽しんでいた」と言い換えても良いかもしれない。

レールの上に乗っているような、ありきたりな人生でも、熱中できていたからよかった。だから、その当時は「今」が一番楽しくて「あの頃に戻りたい」なんて思うようなことは無かった。

でも、いつからか熱中することのない惰性の日々が増えるようになった。そう、社会人になってからだ。

これまで僕は何社か経験してきて、そのうちのいくつかの会社で働いていた期間においては熱中していた時期も確かにあったけど、主にはそれが無くなり始めたことを「潮時」と捉えて辞めていった。

そして、サラリーマンという雇用形態に熱中し続けられない自分に気づいたことで独立する道を選んだ。

他人は「我慢が足りない」「社会人として失格だ」なんて言うかもしれないけど、僕にとっては「熱中できない」「楽しくない」のがわかっていながら毎日を過ごしていくのは絶望でしかなかった。

そして今、フリーランスという生き方自体や、ライターや作家として記事や小説を書きながら生きることに熱中している。毎日、楽しい。たまには落ち込んだりすることも当然あるけど、それは熱中している分野でのことだから仕方ない。

大人になると、いろんな事情がつきまとう。

例えば、サラリーマンがイヤで独立しようと思っても、家族がいれば経済的なことがどうしても気になる。僕にも家族がいるので、その気持ちはすごくわかるけど、なんとかなるだろうの精神で実際にはなんとかなっている。

もちろん、将来を不安視しようとすればキリがない。でも、将来なんて所詮「今」の積み重ねなわけで、負のオーラが充満した「今」が積み重なった将来が明るいものになるとは到底思えない。

同じ生きるなら、惰性で生きるのはもったいない。もし、少しでも心が何かに気づいているのなら、いろんな事情のせいにせず、一歩踏み出すべきだと僕は思う。

熱中できることは誰かを幸せにすることにもつながるだろうから、世の中にハッピーが増えるしね。

多くの日本の大人たちに元気がないのは「熱中」をあきらめたからではないだろうか。

熱中をあきらめない。いい歳こいて、じゃなく、何歳になっても掲げたい指針だ。

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■小説『たいまつバンク』 https://estar.jp/_novel_view?w=24614597

■小説『スマバレイの錆びれた時計塔』 https://estar.jp/_novel_view?w=25038795 (連載中)

■小説『殺しは記憶と引き換えに』 https://estar.jp/_novel_view?w=24960691

■小説『せめて1時間だけでも笑ってくれるなら』 https://estar.jp/_novel_view?w=24972699

■ショートショート作品集「ショートケーキ’s」

1.『歌』 https://estar.jp/_novel_view?w=25021030

2.『お風呂を知らない子供たち』 https://estar.jp/_novel_view?w=25022627

3.『桜の家』 https://estar.jp/_novel_view?w=25024899

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