お客様は神様なんかじゃない

「お客様は神様です」

そんな標語が広まり、朝礼の唱和にも盛り込んでいる会社も少なくないようだけど、僕はこれに異を唱える。

まずは、この動画をご覧いただきたい。

僕は、ジョージアの「世界は誰かの仕事でできている」シリーズのCMが大好きだ。

誰しもが、消費者になることもあれば、提供者になることもある。

百歩譲って「お客様は神様です」説を認めるなら、全員が「神様」にならないとおかしい。

つまり、みんな平等なのだ。

「提供者」は「消費者」から金銭を受け取る代わりに、何かしらの商品やサービスを「消費者」に提供する。その時点で等価交換が成立し、消費者が偉そうにする余地はそもそも残っていない。

提供者側に不具合や落ち度があれば、消費者側にはそれを指摘する権利はある。しかし、消費者側の命令に、提供者側は必ずしも従わないといけないわけではない。それが理不尽なものなら、なおさら。平等なんだから、互いが互いを尊重し合うことを忘れてはならない。

僕は仕事において、代理店からの依頼を受けて編集という立場で案件に携わる際は、外部の執筆者に執筆をお願いすることがある。

この場合、僕や代理店、執筆者たちからすれば、クライアント(いわゆる「エンドクライアント」)が「消費者」ということになる。そして、執筆者たちからすれば、僕も「消費者」ということになるかもしれない。

代理店にオーダーしてくれた消費者(エンドクライアント)が大切なのは言うまでもないが、僕にとっては同じくらい外部の執筆者も大切なのだ。

そりゃ当たり前なわけで、エンドクライアントも代理店も外部の執筆者も、それからも僕も、ひとつの作品を作り上げるという共通の目標に向かうチームの仲間なんだから。

良いものを作り上げるための建設的な議論は大歓迎だ。ただ、なんやようわからん理屈で無茶な要求をしてくるのなら、編集という立場でいるときには特に執筆者を守る責務が生じると考えている。

お金を支払って時間やスキルを買っているに過ぎないのに、それで偉くなったように錯覚するのは哀れだし、そういう考えの人間とは一緒に仕事したくなくなる。

「信用」や「信頼」が今まで以上にものを言う時代、そんなところには人が集まらなくなって、結局は困ることになるのではないだろうか。

元日本テレビプロデューサーの菅賢治さんは、自身の著書『笑う仕事術』で「日テレの新卒採用面接では、社員たちは学生さんにすごく丁寧に接する」といった趣旨のことを書いていた。なぜなら、たとえ御縁が無かったとしても、その学生さんたちは視聴者には変わりないわけで、採用面接が終われば「お客様」に戻るから、と。

日テレが好調なのは、こういう姿勢が浸透していることも少しくらいはあるのではないかと思う。

全員が提供者であり消費者で、シーンによって入れ替わるだけのこと。

それがわかっていない人や会社には「大丈夫か?」と、その神経を疑ってしまうのである。

僕の周りにいる代理店の人たちや執筆者のみなさんは、みんな仕事に誠実で、良心的な気持ちの良い人ばかりだ。いつも支えていただいて感謝している。

だから「我はお客様なのだ!」と威張り散らして、そういう人たちを振り回すのは、くれぐれもやめてほしい。

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■小説『たいまつバンク』 https://estar.jp/_novel_view?w=24614597

■小説『スマバレイの錆びれた時計塔』 https://estar.jp/_novel_view?w=25038795 (連載中)

■小説『殺しは記憶と引き換えに』 https://estar.jp/_novel_view?w=24960691

■小説『せめて1時間だけでも笑ってくれるなら』 https://estar.jp/_novel_view?w=24972699

■ショートショート作品集「ショートケーキ’s」

1.『歌』 https://estar.jp/_novel_view?w=25021030

2.『お風呂を知らない子供たち』 https://estar.jp/_novel_view?w=25022627

3.『桜の家』 https://estar.jp/_novel_view?w=25024899

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