“事なかれ主義”をやめよう

日本の、というか特に戦後日本の“お家芸”ともいえるのが“事なかれ主義”

できるだけ揉め事を避けるために、もしくは拡大させないために、とりあえず「まぁまぁ」と言ってなだめて、それでも相手が収まらなければ「ごめんね。こっちが悪かったよ」って頭を下げちゃう。

これで、どんだけ損をしてきたことか。

“してきた”というか、損を“し続けている”わけで。

頭を下げて、相手が許してくれたら、百歩、いや、千歩、いや、一万歩を譲って!まだ良いけど、それに付け込んで、それに味をしめて、未だに言いがかりを付けられる。

あの国とか、あの国とか、あの国とか……

もうねぇ……。

ほんとイライラするし、ため息が尽きない。

こういう国家の方針は、言わずもがな日本国民が支えてきたわけで(選挙によって。それを意識するかどうかは別の話で)、この姿勢は国民の間にも広く長く浸透してきたように思う。

なんかね、“事なかれ主義”を“大人の対応”と評する向きもあるけども、僕は全然そうは思わない。

もちろん、悪いことをしてしまったら、ちゃんと謝る。これは人間としての基本で、当然のこと。

でも、理不尽なことを言われたりして、自分の信念や大切な人を傷つけられたりでもしたら、そこは毅然として怒るべきだ。

怒るというと、感情をむき出しにして暴れまくるような無理性な印象も抱かれるけど、そうではなく、あくまで“毅然と”憤り、主張・反論すべきなのである。

最近になって知ったけど「公憤」という言葉がある(ボキャ貧がバレるやんwww)。公憤とは、社会の悪に対して、自分の利害をこえて感じる憤りのこと。

対する言葉は「私憤」だが、特にこの「公憤」は大切にした方がいい。

どんな時代も、ある種「公憤」がエンジンとなって、世の中を動かしてきたはずだ。

そりゃ、頭を下げてしまった方が、その場は早々に収まって楽かもしれない。でも、取り返しのつかない何かを失っていることもあるし、それは必ず尾を引く。

例えば、人間関係でいえば、どうしても考え方や気が合わない人っている。職場にも学校にも、残念ながら。

その一部の人間に嫌われ、文句を言われることに怯んで“事なかれ主義”になっちゃったら、自分が自分で無くなるかもしれない。

だから、しんどくても踏ん張って、そのときに逃げずに戦わなきゃいかん。

そうするためには、やっぱり自分に自信を持たないといけないよね。

自分を信じて主張した結果、誰かと揉めたり、誰かと縁が切れたりしても、それはそれで仕方ないと割り切るしかない。

でも、正しく考え、正しく行動さえしておけば、攻撃してくる敵よりも、応援してくれる味方の方がきっと多い気がするのだ。

世の中はまだまだ捨てたもんじゃない。

“事なかれ主義”をやめよう。