学校教育にケンカを売ろう

今の日本には、色んな問題が山のように平積みされているわけですが、そんな中でも、まさに至急も至急、大至急で改革しないといけないと考える分野があります。

それは・・・学校教育。

僕なんかがブログでワーワー言っても、悲しいかな誰も聞いていないけれど、例えば、影響力のある有識者がこういう発言をテレビなどですると、現場の先生たちからは「俺らは必死に頑張っているんだ!失礼だ!」と反論が上がるらしい。

いやいや、ちょっと待って。

どんな職業や業界だって、外部からダメ出しされてますよ。そういう先生たちだって、他の職業の方にはクレームを言って改善を促したりしたこと、ありますよね?

それなのに、教師や教育現場にはモノ申すなってのは、自ら“聖域意識”をさらけ出しているようなもん。

時代が凄まじいスピードで変わっているのに、基本的には何十年も前と同じスタイルで教育してんなら、綻びやズレが生じて当たり前。そういうことに気づいて改革していこうとする自浄作用がないことが、もう終わっているわけです。

それに、学校教育ってのは、国の根幹を支える超重要分野。

先生たちの労働環境が過酷であることは知っているけれど、それは全く別の話で「先生たちが大変そうだから学校教育にモノ申すのはやめとこう」とはならないし、そうなってはいけない。

だって、明日の日本を支える子どもたちを育てる大切なところなので。だから、一国民であるなら誰しもが、特に公の教育機関に関してはモノ申す権利を有していると考えています。

第一に僕が問題視しているのは、平均点の人間を大量生産する仕組み。

少し前にネット上で見かけたけど、授業で習っていない方程式とか掛け算とかを使っただけで、答えが合っているのにもかかわらず「×」を食らった生徒がいるらしい。

芸人さんの真似じゃないけど、

なぜに、みんなと歩調を合わせることをそこまで強制するのか。わけわかりません。

方程式とか掛け算とかは、効率的に計算するために編み出された先人の知恵でしょ。どんな経緯であれ、その知恵にいち早く気づき、活用したことが、どうして「×」になるのか。本当に理解に苦しむ。逆に、褒めてあげるべきじゃない?これで変に空気を読むようになってしまったら、才能さえ潰してしまいかねない。

このことはもちろん、あくまで一例であって、この事例だけをもって「今の学校教育はけしからん!」と断罪するのは確かに暴論だ。

でも、こういう一見些細なことに本質は現れやすい。

みんなに手を繋がせて仲良さげに歩かせることが協調性なんじゃなく、それぞれが個性を伸ばして互いに補い合うことが協調性なんじゃないの。それが、他人の個性を認めることにもつながるんじゃないかと思う。ほんと、協調性をはき違えているようにしか思えない。

そして、さらに深刻なのが歴史教育(特に近現代史)。

戦後、いかに日本は悪かったのか、っていうのを教えるのがまかり通っていて、これはすぐにでも止めないと。

最近では「子どもたちの自己肯定感を養おう」みたいなこともよく聞くけど、それならなおさら「日本人であることを恥じてしまうような」間違った歴史教育は直ちに止めないといけないでしょう。そんな教育を続けていて、どうして子どもたちが心からの自己肯定感を持てるんやろか。

小学生とか幼いうちから、いかに日本人の先人たちは素晴らしかったのか、どれほど世界に貢献したのか、そういうポジティブな話をたくさん伝えてあげて、「だから、君たちも自信を持って夢に向かって頑張りなさい」と言ってあげた方が、よっぽど情操教育には良いはず。

繰り返しになるけど、学校教育ってのは、国の根幹を支える超重要分野。だから、先生たちのことも、みんなで守ってあげないといけないとは思う。

でも、それは先生たちのためなんかじゃなく、子どもたちのため。

子どもが病んじゃう国ってのは、危うい。