発信を怯むな。見えない背中には敵よりも多い味方がいる

前の記事の「“事なかれ主義”をやめよう」とも多少重なる話なのですが、日本社会では「出る杭は打たれる」ってのがずっと続いている。

他とは違うことをしようとすれば何かと“抵抗勢力”が騒ぎ出す……。

今ではネット社会で、誰もが簡単に発信できる反面、あーだこーだと外野から指差されて罵られたり、馬鹿にされたりするリスクは高まった。

企業なんかはこういう風潮を受けて、どんどん自粛の方向に向かっているとか。今、世の中に閉塞感が生まれているのは、みんなが平等に手に入れた「発信の自由」を殺してしまうような20世紀的価値観も根っこにはある。

でも、やっぱり僕は、発信するリスクより、発信しないリスクの方がとてつもなく大きいのではないかと思う。

以前、マーケティング関連の本で読んだことがあるけれど、例えば、どんなに素晴らしいセミナーであったとしても、終了後にアンケートを取ると、必ずと言っていいほど約1割くらいは「不満」と回答するらしい。

何かにつけて文句を言うような奴ほど声がデカい傾向にあるのは実にやっかいなのだけれど、つまり、大多数は満足しているわけだ。とても静かに。

もし、一部の人間からの罵声に怯んで発信をやめてしまえば、その他の人に与えられたはずの満足感はこの世に存在しないことになる。

それは社会的損失だ。

大袈裟ではなく、一個人であっても、誰かに影響を与えることができる。それがたとえ少ない人数であっても、誰かの前向きな心理変容をお手伝いできたのなら、立派に社会貢献だ。

そして、それは自己実現につながる。

あなたの発信は、社会の幸せを創る第一歩と言って過言ではない。これも大袈裟ではない。

他人の発信について、とやかく文句を言って自粛させようとするのは、結局は自分たちの首を絞めることになると自覚しておいた方がいい。

誰もが発信を自粛するようになれば、気づかずにうちに言論空間の自由度までも狭まり、民主的な社会で無くなるから

と、釘を刺してはみたものの、他人の発信について、とやかく文句を言うのも、その人の自由だから、それを強制的に止めることはできない。残念だけど。

だから、やっぱり無視するしかない。

「真っ当な意見には耳を貸すべき」というのもわからなくはないけど、Twitterなんかで、会ったこともない匿名の人に意見されても「あんた、誰?」って感じやし。

そもそも、そういう人たちって、他人に話しかけるときのマナーとか礼儀がなってないことが多いから、やっぱり無視するしかない。

こういうことを考えると、いつも思い出す漫画のシーンがある。

それは、あだち充さんの『H2』。
(以下、完コピではありません)

主人公・国見比呂が2年生のとき、夏の全国大会の1回戦で鹿児島代表の豪南実業高校と戦う。

豪南実業高校の1年生エース・栗丸保は、国見比呂にも劣らないストレートを投げるが、2塁にランナーを置くと、急にパニックに陥って制球を乱すクセがあった。

それは、控え投手の栗丸の兄いわく「弟が幼かった頃、後ろから驚かすのが面白くて続けていたら、ある日、饅頭を喉に詰まらせてしまい、それがトラウマになっている」とのことだった。

この試合中も、2塁にランナーを置くと、制球が乱れ、栗丸保はピンチを招いていた。

このときの豪南実業高校監督のセリフだ。

『あいつが自分で気付くしかないんだよ。見えない背中には敵よりも多い味方がいることを』

し、しびれる・・・!!

どんどん発信しましょうね。