政治の話をするのはダサいっていう考え方がダサい

その昔、ビートルズは、マネージャーから「政治と宗教の話はするな」と口酸っぱく言われていたらしい。

中学か高校のとき、その風貌から“マリオ”というニックネームが付けられた音楽教師から聞いた話が、何年経っても不思議と頭から離れない。

僕も社会に出て10年以上、このマネージャーの忠告は、ある意味、すごくよくわかる。

政治や宗教の話は意見が分かれ、いずれかの立場を表明すれば、相容れない層から反発される恐れがある。しかも、この分野の温度は熱く、政治にも宗教にも熱狂的な人たちというのが一定数、存在している。

こういう“面倒な話”に首を突っ込めば、当然、セールスに影響が出る。そのため、マネージャーは「政治と宗教の話はするな」と言ったのだろう(“マリオ”先生から、そう聞いたように記憶している)。

この考え方は、日本のビジネスの世界にも定着していて、いわゆる政治的発言を控える向きは多い。

「憲法改正について経済界から声が聞こえない」なんて記事も目にしたけど、そりゃ意見を言うわけない。

誰もがSNSで簡単に発信できるようになったため、「ソーシャルメディアポリシー」なるものを作成し、従業員に対して政治的発言を禁止する企業もあるようだ。

組織に属している以上は組織のルールを守るべきで、それについて、とやかく言うつもりはない。僕自身も、企業勤めをしていた頃はそういった発言は控えていたし。

でも、フリーランスになった今、例えばTwitterなんかでは政治的な話もけっこうしている。

もちろん、ビートルズのマネージャーが懸念していたようなリスクはあるかもしれないけれど、今は仕事においては“独り身”だから、たとえ何かあってもすべて自分の責任で事が済む。

ではなぜ、政治の話をわざわざするのかというと、結局は自分たちの暮らしに直結するという考えが強くなったからだ。

政治的な発信がきっかけで経済的損失が生まれる可能性について、その構造自体は理解できる。

でも、政治がダメになったら、もっといえば、国がダメになったら、経済も仕事もない。

空気のようにある“当たり前の日常”が土台から揺らぐようなことになれば、ビジネスのことなんて言ってられなくなる。この“当たり前の日常”を守っていくには、政治というものに自分なりに関心を持って、ひとりひとりが発信することが非常に重要だと僕は考えているわけだ。

別に考え方が違ったって何の問題もない。それぞれが政治への関心を深めることで、政治家たち、それから新聞やテレビなどのマスコミに対して「ちゃんとやってよ!頼んまっせ!しょうもないことに時間を使ってんなよ!」というプレッシャーを醸成することが必要なんだと思うから。

だから、発信を始めるようにした。考えを行動に移すために。誰も聞いちゃいないだろうけど(あー、さみしwww)。

それにしても、経済至上主義というか、何よりも金儲けを優先する、というのはどうなんやろか。

言うまでもなく、経済力は国にとっても個人にとっても大切なもので、蔑にするのも違うのだけれど、金儲けと引き換えに口を噤んでしまうことには異を唱えたい。

だって、それって金で買われてるってことでしょ。恐ろしいよ、それは。

少し前、俳優のリチャード・ギアが、反中国発言でハリウッドを追放されているってニュースを見た。

中国で映画を売りたいハリウッドは、中国に相当取り込まれいるんだって。それで、反中国発言を続けるリチャード・ギアは、ついにハリウッドを追放されたらしい。

このことを例に挙げれば、リチャード・ギアは、経済的損失を受けた。反中国発言なんてしなければ、今なおハリウッド映画の主演を演じ、とてつもない金額のギャラを得ていたかもしれない。

でも、リチャード・ギアは、お金儲けよりも、自分の心に正直に反中国の声を上げる選択をした(そもそも中国の横暴ぶりが世界の脅威になっているのは周知の事実やしね)。

リチャード・ギアが自分の心に正直になったのは、広い意味で家族とか友人とか、そういう人たちを守りたいのだろうと推測する。

さっき、「政治がダメになったら、もっといえば、国がダメになったら、経済も仕事もない」と書いたけど、国がダメになったら、愛する家族や友だちの平穏も脅かされる。

だから、特にそのような驚異に対しては、金で買われることなく、一国民レベルでも「No!」を発信する勇気を持たないといけないと思う。

リチャード・ギアはダサいのか?

いやいや、めちゃめちゃカッコ良い。

日本は、誰がどう見ても変革のときを迎えている。

政治の話をするのはダサいっていう考え方が、まさしく時代遅れでダサいのだ。