8年前の今日。

8年前の今日、結婚式の前日だった。

8年前の今日、僕はサラリーマンで大阪の会社にいた。

長い横揺れが続いて、念のため同僚や上司と3階から階段を駆け下りてビルを飛び出した。

同じく外に避難してきた人たちで騒然としていた。近くに立つ鉄塔が左右にぐらぐらと揺れていた。

遠いどこかで強い地震が発生したのかもしれないという嫌な予感がした。

ただ、それは予感を遥かに超えたものだった。

続報。

それを見聞きするたび、現実感が乏しかった。同じ日本で、というか、同じ世界で現実に起きていることのようには思えなかった。

そんな中、翌日、僕たち夫婦は神戸で結婚式を挙げた。

ホテルの控え室で、衣装に着替えながらテレビで津波の様子を見たことを今も鮮明に覚えている。

僕は、小学5年生のときに阪神淡路大震災に被災した。当時住んでいたのは神戸市長田区の南側。火災が酷かった、あのエリア。

着替えながらテレビを見て、あのときも他の地域では普通の日常が送られていたんだろうなと冷静に、そして不思議と思ってしまった。

あんなに悲惨な震災があった翌日に、遠く離れた神戸でとはいえ、予定通りに結婚式を挙げた。今なら不謹慎だと叩かれたかもしれない。

でも、本当に現実感が無かった。

結婚式の日取りがあと1週間遅かったら、延期していたかもしれない。徐々に、被害の恐ろしさが伝わってきたから。

結婚式には、混乱する中、東京からも友人や先輩たちが電車を乗り継ぎ、何とか駆けつけてくれた。ただ結婚式に参列してくれたという他に、強い感情が芽生えたような気がする。

式の最後、そのときの素直な気持ちで新郎として挨拶しようと決めていた僕は、前日に東北で起きた震災について触れた。

こうして生きていることに感謝したい。

そして、幸せになることを誓った。

誰かが幸福の最中にいるとき、誰かは不幸の渦中にいるかもしれない。それは本当は、この地球で毎日のように起きている。

ほとんどの人は誰かを救えるようなスーパーマンじゃない。もちろん、僕も。

だからこそ、自分のなすべきことをなしていくしかない。生きている限り、生きていることに感謝しながら。

あの瞬間、生きたいのに途絶えてしまった人生、大切な人を失った深い悲しみ、それを小さな想像力で精一杯に想像することが尊いと思う。

人々が言葉にすることを躊躇わなければ、枯れないし風化しない。

祈りは届くから。