小説『I love Dogs.』(2)

(1に戻る)

職場に到着すると、先に着いていた女性の事務員たちがそわそわしていた。まだ、就業時間になってはいないため、仕事に取り掛かる義務はないのだが、立って堂々と談笑している。私の職場は、小さな靴メーカーだ。メーカーといっても、生産部門は下請けに出しているため、事務所は猫の額ほどしかない。そこに、主に営業を担当する私と、経理や総務を担当する女性事務員が二名、下請けの生産部門を統括するコバさんがいる。コバさんは、名字が小林で、来年には還暦を迎える。身は細いが長身で、いつも丸眼鏡をかけている。髪の毛の量は年相応ともいうべきか、薄くなってきてはいるが禿げあがってはいない。コバさんは、社長の右腕として、二人三脚でこの会社を長らく盛り立ててきた。小さな靴メーカーであるため、今日に至るまでは波乱万丈だったらしい。今も余裕のある財務状況ではないが、倒産寸前のところまで窮したことも何度かあったという。それでも、社長はコバさんと手を取り合い、苦難を乗り越えてきた。二人の間には、血のつながりをも超えた絆があるように思えて、私はそれに少し嫉妬したりもする。だから、今回の一件に関して、コバさんの心のうちを思いやると、胸が押しつぶされそうになる。

そう、社長が脳梗塞で倒れたのだ。幸いにして一命は取り止め、意識はあるのだが、左半身が麻痺。今はリハビリに励む毎日を過ごしている。私にその一報が届いたのは、そろそろ就寝しようとしていた午後十一時半。着信を告げるスマホ画面を見ると「コバさん」の文字があり、それだけで不安を覚えた。コバさんは、年の離れた私にでさえ、偉ぶることはなく、きちんと尊重してくれる。こんな時間に電話をかけてくるというのは、只事ではない何かが起きたのだと察知した。心を落ち着けて電話に出るやいなや、コバさんは「社長が倒れた」と悲壮な声で言った。いつものようにこちらの状況を気遣うことができない精神状態だったのだろう。私はすぐに寝間着から着替え、Tシャツの上から薄手のパーカーを羽織り、ちょうど自宅マンションの前を通りかかってくれたタクシーを拾って病院へ向かった。

なぜ、一従業員である私がその場に呼ばれ、しかも私は応えたのか。そこそこの規模の会社なら、従業員に連絡する段階ではないのかもしれない。もちろん、小さな会社だから、ということもある。しかし、それだけではない。コバさんほどではないにしろ、私も社長に恩義を感じているのだ。私は、この会社に勤め始めて、間もなく十年になる。十年戦士といえば、一般的には中堅に分類されるのだろうが、私の下に人はいないため、いまだに自他共に認める若手である。二人の女性事務員は年下だが、雇用契約上はパート。いわゆる契約社員だ。その雇用契約に、正社員のような覚悟や責務を求めるのは酷というものだろう。だから私は、社長とコバさんと私の三人が、この会社そのものなのだと認識している。そして、若手であるからこそ、例えば、取引先との接待などでは自分が頑張らないと、と張り切ってきた。こんなふうに、自然に思えたわけではない。誰もが自分の会社に対して肯定的な感情を抱くことができれば、「社畜」などという下品な言葉は消え去り、世の中は少しばかりは色めき出すことだろう。

十年前、大学卒業を控えた私は、就職活動に苦戦し、まだ内定先がなかった。これまでの人生、幼稚園を卒園すれば小学校に入り、小学校を卒業すれば中学校に入り、中学校を卒業すれば……と、ベルトコンベア式に次のステージが現れていた。それだけに「明日がわからない」ということ自体に戸惑い、その解決策を持ち合わせていないことによって、焦りを通り過ぎ、暗闇をさまよっていたのである。今思えば、そんなことたいしたことでもないように思う。これが成長なのだろうか。しかし、当時は深刻を極めた。親や友人からの余計なまでの状況確認が、私の気持ちをより一層暗くした。そんなときである。親からの詰問から逃れたかった私は、目的もなく散歩に出かけることが増えていた。いつも同じコースだと飽きるので、電車に乗ってみた。普通電車に揺られ七分ほど。ふいに降りた駅の周辺は、こぢんまりとしていて地味だった。駅直結の商店街ではところどころシャッターが閉じており、行き交う人もまばら。人に刺激を与えようと、無理に何かを主張することもない町を私は気に入った。商店街を西から東に数分歩くと、右手の角にカフェがあった。ここに辿り着くまでにもカフェはいくつかあったが、そのカフェにだけ妙に惹かれたのである。外観はレンガ造りのレトロな佇まいで、看板には猫とカラスのイラストが描かれている。店名は「ケセラセラ」。入ってみようと思ったが、その日はあいにくの定休日だった。そのまま商店街を先に進もうとしたのだが、カフェの外周をなぞるように右折した。今も、なぜ曲がったのかわからない。もしかしたら、これが運命と言えるものなのかもしれない。

真っすぐ歩くと、二つ目の角を今度は左に曲がった。何かに導かれるように。そこで見かけたのが社員募集の貼り紙だ。クリーム色の外壁の一階部分、シャッターの表面にそれは貼られていて、「社員募集 委細相談 受付:二階」とだけ書かれてあった。今から十年も前のこととはいえ、随分と雑な募集要項である。しかも貼り紙とは、本気で人を探すつもりはあるのか。けれど、私はこの貼り紙に、一縷の望みをかけようと思った。正直、このように寂れた小さな会社なら、とりあえず合格できるのではないかと計算したこともある。暗闇をさまよう私は、とにかく光を探していた。私は、常識的な判断ができなくなっていた。シャッター横の階段を上がり、二階に向かった。ちょうど、社長が運ばれた病院へ駆けつけるときと同じ、Tシャツの上から薄手のパーカーという出で立ちで。

狭い階段を上がると、左手に扉があり、曇りガラスに「シューズカワムラ」と書いてあった。私は、呼吸を整えると、静かに三回ノックした。三回というのは、就活セミナーで教わったビジネスマナーだ。二回だと、それはトイレをノックするときのマナーにあたるらしい。トイレに駆け込もうとしている人にまでマナーを求めるのだから、この世の中の堅物さにはぞっとする。特に返事もなかったのでドアを開けてみると、今はもう退職して在籍していない年配の女性事務員、ミナミさんが入口付近の席に座ったまま、こちらに視線を向けてきた。パソコンのキーボードに手を置いたまま、首だけを曲げ、明らかに訝しそうな目つきだ。「ご用件は?」と聞かれたので、下の貼り紙を見たと告げると、さっと立ち上がって「どうぞ、いらっしゃいました」と急に恭しくなった。後から聞いたところによると、あんな紙を貼ったところで誰も来るわけがないと高をくくっていたそうで、貼り紙をしていたことすら忘れ、ただの不審者に映ったらしい。

ミナミさんに案内され、私は初めて「シューズカワムラ」に足を踏み入れた。扉から見て左側に左右三つずつのデスクが向かい合った「島」があり、右側には応接用か打ち合わせ用かと思われる木製のローテーブルと、それを囲む四つのソファがあるだけだったが、ソファが傷んできたことを除けば、そのレイアウトは今も変わっていない。壁にはカレンダーと、いくつかの賞状が飾られていて、殺風景なのも同じだ。このときは、応接用か打ち合わせ用のスペースがあるわりに部外者が入ってくるのを想定しなかったのか、デスクには山積みの書類が放り出されていたが、今ではきちんと整理されている。情報管理に対するモラルの向上の波は、こんなところにまでやって来ているのだ。あと、鼻につくシンナーのようなにおい。これは、靴のサンプルから発せられている。ソファに腰かけた私が鼻をすすると、「すいません。慣れないにおいでしょう」とミナミさんが気遣ってくれたが、実をいうと不快には感じなかった。「ちょうど、もうすぐ社長が帰ってきますから」とミナミさんが言ったとき、ある種の興奮状態から我に返り突然緊張し始めたのだが、このにおいのおかげでいくらか和らいだようだった。

落ち着きを取り戻すと、頭が正常に動き出したのか「こんな服装で大丈夫なのか」「履歴書すら持って来ていないぞ」「いきなり社長面接って」と、後戻りできないことがわかっていながら、あーだこーだと自分で自分に語りかけていた。手のひらを見ると、じんわりと汗がにじんでいる。照明で水分が反射し、手相が光って見えた。就職活動がうまくいかず、信心深い母親の勧めで当たると評判の占いに行ったとき「あなたの将来は明るい」と言ってもらえたことを思い出す。私は、ぎゅっと拳を握った。

そのとき、ドアが開き、ひとりの男性が入ってきた。オールバックの白髪で、肌は色黒。身長は百八十センチくらいあるのでないかと思われる大柄で、その体形は横にも広がっていた。スーツを右手にかけ、反対の手には紙袋が下げられていた。「熊のおじいちゃんみたい」。これが、私が川村社長に抱いた第一印象である。川村社長は、私をすぐに見つけ、目が合った私はその場に立ち上がった。ミナミさんから事情を聞くと、快活な笑顔を見せ、「これはこれは」と私の方にノシノシと近づいてきた。

「はじめまして。社長の川村です」

頭のてっぺんが見えそうなくらい深くお辞儀をされたことに面食らった私は、慌てふためきながら頭を下げて自己紹介をした。促されて座り直すと、社長はミナミさんにアイスコーヒーをお願いし、私の向かい側のソファにドンと座った。名前や大学名、これまでの簡単な経歴など当たり障りのないことは聞かれたが、履歴書を求められることもなければ、服装を窘められることもない。そのことが、むしろ想定外で私は話すペースをつかめなかった。雑談のような内容にもかかわらず、たくさん噛んだり、言葉に詰まったりした。聞きにくいことこの上なかっただろうに、川村社長は温和な表情を崩さないどころか、ときに頷き、ときに笑ってくれた。面接時間は約十分と短いものだったが、その最後に会社の説明をしてくれた。中小零細企業であること。経営状態はお世辞にも良いとはいえないこと。だから、給料や福利厚生は残念ながら充実しているとはいえないこと。それでも、靴づくりに対して情熱を持っていること。そして、これからを担う若い人たちの力が絶対に必要であること。これまで聞き役に徹していた川村社長の身体全身から放たれる、目には見えないエネルギーに私は圧倒された。

話し終えた川村社長に「質問があれば」と言われたので、私は素朴な疑問をぶつけてみることにした。これまでの面接では、就活セミナーで教わったような無難なありきたりなことを聞いてきた。ただ、この場ではそういう質問はご法度のように思われたのだ。履歴書すら求めなかったこと、こんな服装にも何も言わなかったこと、そもそも突然現れた人間に面接を受けさせてくれたことについて、その理由を聞いてみた。その返答を私はいまだに忘れることができない。

「私は、縁というものを信じている。今の世の中、貼り紙だけで人が採用できるだなんて全く思っていない。けれど、もし、あの貼り紙がきっかけでここに来てくれる人がいれば、その人との出会いは奇跡に近い縁なんだと思う。私は、その奇跡にかけたい」

そして、こう付け加えた。

「それに、もしかしたら失礼にあたるかもしれないが、ああいった貼り紙に少しでも意識が向く人は、おそらく就職では苦労している人に違いない。でも、苦労している人には二種類いて、そのまま堕落してしまう人と、何とかしようとあがく人だ。君は、就職活動の結果には恵まれなかったかもしれないが、あがいているからこそ、ここに来てくれた。私は、君の内に秘められたパワーに無限の可能性を感じる」

私は、震えた。鳥肌が立ち、目の奥がジンジンした。その場で内定をいただき、「後日、内定通知書と一緒に就労条件を記載した書面などを郵送するから、それを確認して決めてほしい」と言われたが、もう心は決まっていた。これが、シューズカワムラと、そして川村社長と私の出会いだった。

そんな川村社長が、三か月前に倒れた。今年六十五歳になるが、病が無ければまだまだ働きたかったはずだ。面接で私に言ったとおり、川村社長の靴づくりへの情熱は、ときに執念と呼ぶべきほど凄まじかった。いつも温厚で、従業員に対して怒ることもなかったが、靴づくりには妥協しない。「神は細部に宿る」が口癖で、大雑把なデザインよりディティールの巧みさにこだわった。「下請けさんには申し訳ないが」と言いながら、引かないときには絶対に引かない。下請けを統括するコバさんは、社長の考えに共感しているからこそ、その間に入ってギリギリの調整を続けることができたのだと思う。そう考えれば、薄くなってきているコバさんの毛髪は、勲章ともいえるのだ。試作を繰り返し、納得できるサンプルがあがってきたときには、社長は繁々と眺め、まるで少年のように目を輝かせて喜んでいた。営業活動を担うことになった私としては、この靴を世の中の人々に履いてもらいたいと意気込んだが、いつも順調とはいかなかった。もしかしたら、気合いが空回りしていたこともあったかもしれない。外回りから帰って気落ちしている私を見つけると、川村社長はいつも声をかけてくれて、時には同行までしてくれた。そういうときの夜は決まってコバさんと合流し、三人でよく飲みに行ったものだ。回数は数えきれないが、私は一円たりとも支払ったことがない。若い私に気遣い、焼肉屋やステーキハウスにも何度か連れて行ってはくれたが、会社近くの焼き鳥屋に行く方が私自身も楽しかった。六人掛けのカウンターと、四人席のテーブルが三つあるだけの狭い店で、ところどころ黒ずみ、油でくすんだ年季の入った店内はおしゃれとは程遠い雰囲気だが、その狭さがシューズカワムラの事務所に似ていたこともあり、なんだか居心地が良かった。社長もコバさんもリラックスしているような表情だったし、焼酎を飲みながら饒舌だった。名物のつくねを食べ、靴づくりについて大いに語ってくれた。それは全く説教くさくなく、むしろ、ためになるテレビ番組を観ているような錯覚に陥ることもあった。上司と飲みに行くことを毛嫌い、上司の話を厄介に感じる若者が増えているそうで、上の世代の大人たちはそういう若者に対して「なっていない」などと口をすぼめるようだが、自分たちの日ごろの振る舞いに目を向け、心に手を当ててみると良い。疎まれるには疎まれるだけの理由があるのだ。私は二十代の頃から社長やコバさんと飲みに行き、彼らの話を聞くのが好きだった。これがひとつの答えだろう。

「これだから、靴づくりはやめられないな」

店の大将に見送られながら暖簾をくぐると、できあがった社長は赤ら顔で私に言ってきた。なのに、引退するなんて。川村社長らしい決断の早さともいえる。懸命にリハビリを続けているものの、組織のトップを担うのは、私の想像が追い付かない重労働なのだろう。シューズカワムラが靴づくりを続けていくための苦渋の決断だ。今から一週間ほど前、私とコバさんは川村社長に病室に呼ばれた。リハビリ終わりの川村社長はベッドに仰向けに横たわり、右手を使って額の汗をタオルで拭っていた。左腕は依然だらんとしたままだ。社長は私たちの姿をとらえると、タオルを持ったまま右手をあげて迎えてくれた。コバさんは主に商品の生産状況を、私は主に営業活動の進捗について話をした。コバさんが財務状況を報告すると、社長は静かに頷いた。相変わらず、芳しくはない。利益度外視のスタンスに加えて下請けを叩くこともしないから薄利なのだ。窓から夕陽が差し込むと、社長は右目だけを眩しそうにつむったので、私はカーテンを閉めた。隙間から赤い日の光が漏れるが、照明を落としている病室内は一気に暗くなった。シューズカワムラに入社して十年。がむしゃらに走ってきたため、時の経過に対する体感速度は速いが、十年という月日は人が老いるには十分すぎる。社長とコバさんを見て、私はそれを痛感した。それとほぼ同じタイミングで、社長が口を開いた。

「息子を、支えてやってくれ」

コバさんは泣いていた。

(3に続く)

◆僕の小説一覧(読んでね!)

◆僕のポートフォリオ(読んでね!)

◆僕のtwitter(フォローしてね!)

◆僕のインスタ(フォローしてね!)

◆「かっぱ太郎」LINEスタンプ販売中(買ってね!)

↓感想などは以下のフォームからお気軽にどうぞ!