小説『I love Dogs.』(3)

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そわそわしている二人の女性事務員をよそに私が資料を作っていると、ドアが開いてコバさんが入ってきた。現れてほしい人間が違ってガッカリしたのか、「緊張して損した」とか「コバさんかよ」などとほざいている。女というのは、どうしてこうもミーハーなのだろう。コバさんは私の前に座ると「おはよう」とだけ言って、元気がない。社長と二人三脚で生きてきたコバさんにとって、パートナーの事実上の“死”はダメージが大きすぎるのかもしれない。女性事務員もようやく席に着き、就業開始時刻まで数分というところで足音が聞こえた。その音からして上質な革靴であることがわかる。私も、だてに十年も靴メーカーで働いていない。

「来ましたかね」

私の隣に座る女性事務員がひそひそ声で話しかけてきた。茶色く染めたミディアムヘアに、明らかに石原さとみを意識したようなパーマをかけている。残念ながら顔は似ていない。この小柄な事務員を、私は敬意をこめて「さとみちゃん」と心の中で呼んでいた。私は「そうだろうね(さとみちゃん)」とだけ答える。すると、向かい側に座る、もうひとりの女性事務員と目を合わせ、またそわそわし始めた。こちらは、さとみちゃんよりも背が高く、スラっとしている。ただ、その身体に凹凸は乏しく、まるで一本の長い棒のようだ。長く伸びた黒い髪を、いつも後ろできつくしばっていて化粧っ気は薄い。私は「ポニーさん」と心の中で呼んでいた。さとみちゃんとポニーさんの胸の高鳴りが外にまで聞こえてきそうだが、私にとって肝心のコバさんはといえば、デスクに置かれたデスクトップパソコンのせいで表情がよく見えない。そんな中、勢いよく扉が開いた。現れた男は歌でも歌っているかのような軽快なリズムで陽気に言い放った。

「グッドモーニング!エブリワン!今日からよろしく!」

私は、気を失いそうになった。

ストライプの入った濃いネイビーのスーツに、深紅のネクタイ。シャツの色だけでなく、歯まで不自然に真っ白な短髪の男の名は川村康介。年は三十歳で、スーツ姿でも身が引き締まっているのがわかる。私よりも年下だが、これからも私が下っ端であることは変わらない。川村社長の息子で、肩書きは社長なのだから。いや、「前」社長の息子というべきか。しかし、たった一文字を付け加えることが私にはとてもためらわれた。いきなり英語で挨拶をされて戸惑ったのは確かだが、それだけで相手を毛嫌いすれば、私自身が「お局」のようになってしまうだろう。それは本意ではないし、川村社長との約束を破ってしまうことになる。「息子を、支えてやってくれ」と病室で言われたとき、私は「必ず」と誓ったのだから。

けれど、私にとっての「社長」は、やはり川村社長しかいないのだ。だから、新社長にはニックネームを付けることにした。もちろん、本人を前にして口にすることはない。私は、新社長のことを「クロフネ」と心のうちだけで呼ぶことにした。その名の由来は想像に難くない。クロフネは、留学中のアメリカから、このシューズカワムラに満を持してやって来たのだ。川村社長は、シューズカワムラの未来を見据え、息子のクロフネをアメリカ・ニューヨークに留学させた。最先端のデザインとアメリカ型の合理的経営を学ばせるためだ。日本で大学を卒業したあと、渡米したらしい。クロフネはアメリカでの生活を満喫していたようだが、今回のこと、川村社長が倒れたことで予定を大幅に前倒し帰国、シューズカワムラの新社長に就任した。

私たち四人の視線が注がれる中、クロフネは、父が入院する病院よりも先に会社に足を運んだことを、なぜかわざわざ口に出して伝えてきた。誰も反応しないため、私が気を遣って「ご苦労様です」と言うと、こちらに近寄ってきて握手を求めてきた。右手を差し出すと、必要以上の力で握られ、顔をしかめそうになったが堪えた。

「君が営業担当だね!父さんから聞いてるよ!これからよろしくね!」

初対面なのにため口をきかれた。いや、年下とはいえ、相手は社長なのだから、それで一向に構わないのだが。続いて、クロフネはコバさんのところに行き、同様に握手した。コバさんは「立派になられましたね」と微笑んでいた。少し目が潤んでいたように見えたが、その感情の正体については知る由もない。川村社長とコバさんは仕事ではいつも一緒だったが、家族ぐるみのようなプライベートの付き合いは控えていたそうだ。あくまでビジネスパートナーであることを互いに忘れないように、一線を設けていたのだろう。過去に「仲良しこよしだけでは会社は立ち行かない」と焼き鳥屋で川村社長が言っていたのを思い出す。そのため、コバさんもクロフネに会うのは何十年ぶりかのようだった。「よろしく頼む!」。クロフネはコバさんにまでため口をきいた。両手でコバさんの右手をがっちりと包んでいただけまだマシか。その後、クロフネは二人の女性事務員とも握手を交わした。さとみちゃんもポニーさんも頬をピンクに染めてモジモジとする始末。クロフネが「そうだ」と言って踵を返し、入口に置いたままのキャリーバッグから紙袋を二つ取ってそれぞれに手渡すと、彼女たちは中を開けて大喜びした。最近、日本に上陸したばかりで話題のボディスクラブのニューヨーク限定品だという。私とコバさんを見て「女性だけね」と冗談っぽくクロフネは言うが、石鹸なんて別に欲しくもない。コバさんが笑っていたので、私も合わせて笑ってみせた。クロフネは、役所での手続きや社長就任の挨拶回りなどがあるため、数日は会社に顔を出せないそうだ。コバさんが「次はいつ出社されますか?」と聞くと、「週明けには一度来るよ!」と答えた。キャリーバッグの取っ手をつかむと、事務所全体をぐるりと見回した。

「それじゃ、シーユー!」

キャリーバッグを持ち上げると、大きな足音を鳴らしながら階段を降りて行った。クロフネが去った後も、しばらく私の心はざわつき、大きく波打っていた。大げさかもしれないが、明治維新前夜に浦賀で黒船を目にした日本人たちの衝撃に近かったのではないだろうか。クロフネと名付けた私のセンスは光っている。さとみちゃんとポニーさんは、ボディスクラブの瓶を眺めながらうっとりしていた。向かいに座るコバさんに「随分、川村社長とキャラが違いますね」と声をかけてみると、「そうだな」とだけ返ってきた。私もコバさんも座っているため、またパソコンに遮られてその表情はもう見えない。なんとか心を落ち着けようとし、資料づくりを再開しようとしたが、心のざわつきの中に妙な引っかかりを見つけた。そう、帰り際に事務所を見回したときのクロフネの表情だ。頭を振るが、その残像は消えてはくれない。私はノートパソコンを畳み、「行ってきます」と言って外出した。外回りの予定までまだ時間はあったが、作業に集中できそうになかったからだ。こんなことは初めてだった。

(4に続く)

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