小説『I love Dogs.』(6)

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クロフネが改革の第一矢を放ってから迎えた最初の月曜日。正午を待たず、シューズカワムラの事務所内にはピザの油っこいにおいが充満していた。これまで靴のサンプルから発せられるシンナーのようなにおいが支配していた空間に、今朝もアロマの香りが優雅に漂っていたが、それをもかき消してしまうほど主張の強いにおいだ。しかし、私はタカツと飲み、彼と話し合えたことが精神衛生上よかったのか、嫌悪感は不思議と沸かなかった。午前十時頃に事務所に集まったクロフネ、コバさん、さとみちゃん、ポニーさん、そして私は、それぞれ簡単な報告を済ますと、クロフネの提案でピザをデリバリーすることになった。「外に食べに出かけるのも良いけど、最初くらいはここで食べよう」ということだ。クロフネなりに考え、私たちとの距離を縮めようと努力しているのかもしれない。応接用の新調された漆黒のローテーブルを囲む際、ソファが四つしかなかったため、下っ端の私が立ったままでいようとすると、クロフネは着席を促してくれた。

「僕は立って食べるのが好きだから、座ってよ!」

何度か遠慮してみたが、クロフネの意思は固く、あまり固辞するのも場の空気を悪くしてしまう恐れがあったため、私は「お言葉に甘えて」と座ることにした。私たち四人がソファに腰かけたところで、クロフネが自分のバッグからワインボトルを出してきたのには驚いた。「懇親会だと思って楽しんでよ!」と言いながら、紙コップに注いでくれた。みんなで乾杯すると「紙コップだと味気無いよね」とクロフネは恥ずかしそうに笑うが、ラベルに記載してある年代を見ると古く、高いワインに見受けられる。それだけで私は美味しく感じたわけだが、タカツならどう判断するのか気になった。ローテーブルの上にはLサイズのピザが二枚とサラダが置かれていたが、クロフネはほとんど手をつけず、ワインを飲むばかりで色々と話をしてくれた。自慢話のような武勇伝ばかりを語るのだと思っていたら、意外にも自分が渡米先で恥をかいたエピソードを披露してくれ、ランチタイムはとても和んだ。コバさんも、ワインの入った紙コップを片手にピザを頬張り、クロフネの話に耳を傾けて微笑んでいる。三十分くらい過ぎた頃だっただろうか、自分だけが話をしていては申し訳ないとクロフネが話を振ってきた。

「みんなのことを知りたい。そうだな、ベタだけど趣味を教えてよ」

「当たり障りのない質問の代表選手」とも思われがちだが、私はこれが苦手だ。趣味といわれても、特に無いのだ。時々、本を読んだり映画を観たり、音楽を聴いたりはする。しかし、それを趣味と言って良いものか、私にはわからない。趣味と言うからには、語れる作品のひとつやふたつあってしかるべきだとも思うのだが、咄嗟に聞かれると何も思い浮かばないので、答えることにためらいが生じてしまう。そんなことを露とも知らないクロフネは、真っ先に私を指名してきた。こういうとき、「趣味は無いです」と言ってしまえば、楽かもしれないが元も子もない。私は経験から、過去に乗り切ることができたフレーズを口にした。

「そうですね、仕事が趣味ですね」

ただ、すぐに私は後悔した。これまでの会食なら、取引先や下請け先が本心かどうかはともかく「若いのにすばらしい」とか「シューズカワムラさんの将来は安泰だ」とか感嘆の声を上げてくれたが、言った直後、クロフネの反応に間が空いた。クロフネはすぐに笑みを浮かべて「エクセレント!」と言ったが、完全に引いているのがわかる。さとみちゃんもポニーさんも白けていた。「つまらない男だ」と思われたに違いない。すると、コバさんが「若いんだから、もっと遊べよ」と私のおでこをピシャリと軽く叩いてくれた。さとみちゃんが噴き出したので、私は助けられた思いだった。

その後、さとみちゃんとポニーさんの話に移り、ランチタイムは再び盛り上がり始めた。親睦の場では、女性の存在は本当に心強い。女性がいるといないとでは、その場の空気の流れ方が全く違う。男性だけだと、参加者の間に見えないボトルネックが生じ、そこで淀んでしまいがちだ。二人とも犬を飼っていて、休日にはドッグカフェによく一緒に遊びに出かけているらしい。外見の違いから、住む世界が違うのかと勝手に思い込んでいたが、二人は仲が良いようだ。さとみちゃんとポニーさんともシューズカワムラで顔を合わせるようになってから随分と経つが、そんなことは初めて知った。クロフネも犬を飼っているようで、この話題はしばらく続いた。私は犬が好きではないが、ランチタイムが円滑に進み、誰しもにとって幸せなものになるのであればそれで良い。思いのほか、話が弾んだことでクロフネも油断してしまったのか、腕時計を見て「もう、こんな時間か。出ないと!」と焦り始めた。

「今日は、みんなのおかげで楽しいランチタイムになったよ。ありがとう!あ、片付けをお願いしてしまってごめんね!では、シーユーネクストウィーク!」

そう言って足早に出て行った。クロフネがいなくなると、途端に会話は無くなった。さとみちゃんとポニーさんは立ち上がり、そそくさと片付けをし始めた。私とコバさんは、ワインが少し残った紙コップを手に、まだソファに座っている。「これから、シューズカワムラは明るくなりそうですね」と、目の前をせかせかと動き回るポニーさんを眺めながらコバさんに声をかけてみた。コバさんも、こちらを見ずに「そうだな」とだけ呟いた。クロフネのアメリカでの失敗エピソードや、さとみちゃんとポニーさんのプライベート話をきっかけに、社内の人間関係は近づいたのかもしれない。それに、今日はクロフネの人間らしい部分が垣間見えた気がする。年下のクロフネの笑顔は、人懐っこいものだった。タカツが言うように、こちらが抵抗ばかりするのは大人げないことで、単なるわがままなのだろう。飲みなれないワインのおかげもあり、私は週初めの月曜日なのに、気分を良くしていた。今日の訪問は十五時だ。カフェ「ケセラセラ」でブラックコーヒーでも淹れてもらおう。そういえば、今日は時間切れでコバさんの趣味を話してもらう時間が無かった。コバさんは無類の温泉好きだ。クロフネも、きっと興味津々に聞いてくれるだろう。週明けのランチミーティングが待ち遠しくなった。

 

しかし翌週、一週間ぶりに出社した私は、奈落の底に突き落とされる。

(7に続く)

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