小説『I love Dogs.』(7)

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自分の会社のドアの前で確かな異変を感じた。それでも、まだまだまさかと思ってドアを開ける。幻聴ではない。キャンキャンと、あの忌まわしい鳴き声が私に浴びせられた。

「おはようございまーす」

それぞれ犬を抱っこしながら、さとみちゃんとポニーさんは気の抜けた挨拶をしてきた。私は、女性たちの胸元で抱きかかえられている二匹の小型犬を交互に見た。一匹は焦げ茶色のトイプードルで、もう一匹は薄いベージュ色のポメラニアンだ。どちらも有名な犬種だったから私にもわかった。黒目だけをキョロキョロと動かしながら固まっていると、「もしかして、まだ見てないんですか?」と二人はハモるように声を重ねて聞いてきた。彼女らが言うには、先週金曜日の夜、クロフネから社内チャットを通じて通達があったらしい。その日、私はまたタカツと飲んでいた。「クロフネは意外と良い奴みたいだ」という話を肴に酔っ払った私は、スマホから社内チャットにアクセスできるような状態ではなかった。明け方まで飲み明かし、土曜と日曜はそのツケを払うように一人暮らしの自宅でダラダラと過ごしていた。

ポメラニアンが飼い主であるさとみちゃんの腕をするっと抜け出し、勢いよくこちらに向かってきた。私の前に来ると、唸るように力を溜めてから盛大に吠えてくる。私は思わず後退りした。さとみちゃんがゆっくりとやって来て「こらこら」と抱きかかえた。「この子、やんちゃで」。まるで、息子をかばうような口ぶりだ。犬なんて、おとなしいわけないし、分別のある犬がいれば連れて来てもらいたいものだ。分別とは、言語によってもたらされる。言葉のわからない犬に、分別などそもそもあるはずもない。

「犬、お嫌いなんですか?」

トイプードルを抱っこしながら、ポニーさんが聞いてきた。苦笑いしながら「実は、あんまり得意じゃなくて……」と答えると、耳を疑った。

「この子たち、噛んだりしないから大丈夫ですよ」

頭に血が上りそうだった。腹の底から熱くなって、拳に自然と力が入る。私はムカついていた。さとみちゃんとポニーさんは二匹の犬と無邪気に戯れている。その光景が、私を余計に腹立たせた。我に返ることができたのは、コバさんが来てくれたからだ。見ると、コバさんも知らなかったようで面食らってはいたが、私のように動揺する様子はなく、自席に着いた。二匹の犬は、コバさんにも吠えている。自分たちのテリトリーに侵入してきた不審者を警告するかのように。違う、テリトリーを犯しているのはお前たちの方だ。デスクに座った私は二匹の犬を睨むが、目が合いそうになると本能的に反らした。勝った気でいるのか、犬たちの威勢はますます良くなった。

「グッドモーニング!」

入ってきたクロフネを見て私は卒倒しそうになった。大きめのゴールデンレトリバーを連れているではないか。社長の犬よろしく、金色の毛をまとって堂々としたものだ。吠えはしないが、舌を垂らして「はぁはぁ」と息遣いが荒い。「かわいいー」とさとみちゃんとポニーさんが自分の犬を抱えたままクロフネとゴールデンレトリバーの元に歩み寄った。若い女はボキャブラリーが貧しいのか、なんでもかんでも「かわいい」とほざく。

「みんな、聞いてくれ」

クロフネが得意の演説を始めた。

「先週末に連絡したけど、今日からはペットの同伴オーケーだ。アメリカの大学による調査では『ペットを会社に連れていくことで職場のストレスが軽減される』といった効果も認められている。それに、これからは当社も採用に力を入れていくフェーズに移行していくつもりだ。採用を成功させるには、時代のニーズに合わせて労働環境をアジャストしていくことが欠かせない。じゃないと、選んではもらえないからね。どう?良い提案だろう」

何が提案だ。もうすでにこの空間には犬がいる。決定事項で、これは命令ではないか。

「クロフネは意外と良い奴みたいだ」

一昨昨日、タカツと飲んだときに自分の口から出た台詞を私は悔いた。恨めしい感情が表に出てしまったのか、クロフネはわざわざ私の目を見て、「さぁ、ミーティングだ」と肩を叩いてきた。トーンこそ柔らかいが、そこには有無を言わさぬ圧力があった。何も言い返せない自分が情けない。クロフネはデスクの脚にリードを付けてゴールデンレトリバーをつないだが、小型犬の二匹は社内を自由に闊歩することが許された。ミーティング中も足元をウロウロされ、時には靴を触れられ、私は集中できないでいた。

犬ばかりに気を取られていて全く気が付かなかったが、前に座るコバさんの様子がどうもおかしい。一言も発さないし、目は赤く充血していて、鼻をすすりながら握った右手を口に当てている。すると突然コバさんは立ち上がり、「すいません」と言ってミーティング中にもかかわらず腰を曲げて出て行った。もしかして……。きょとんとするクロフネたちに私は断りを入れてコバさんを追った。二階と三階の間の踊り場にある給湯室にコバさんはいた。水を流し、顔を荒く洗っている。水と一緒に肉まで滴り落ち、一気に頬がコケたようにも見える。声をかけると、備え付けのタオルで顔を拭き、コバさんが私に呟いた。

「社長たちには言わないでくれ」

知らなかったが、コバさんは犬アレルギーだったのだ。私は怒りに震えた。やはり、ペット同伴を決定する前に、全員に意見を聞くべきだったのだ。「ペットを会社に連れていくことで職場のストレスが軽減される」など、どこぞの偉いさんが研究したのか知らないが、馬鹿な一般人どもは情報を切り取って自分の都合の良いように解釈をする。コバさんは、犬と同じ空間にいること、それ自体で苦しみを味わってしまう人間だ。クロフネたちが愛してやまない犬が、コバさんの心身に苦痛をもたらすのだ。それは、コバさんの意思とは関係ない。いわば体質の問題だ。コバさんに我慢を強いるのは、理に適っていない。アメリカは人権を重んじる国ではないのか。そのアメリカで、クロフネは一体何を学んできたのか。何がフェーズだ。何がアジャストだ。わけのわからない英語を使って煙に巻きやがって。わなわなと震えが止まらない。

「抗議してきます」

私が踵を返そうとすると、怒気をはらんだ声にひるんだ。

「言わないでくれって言っているだろう!」

コバさんが声を荒げたのを私は見たことがない。そして、すがるように弱々しく私に言った。

「すまん。社長の好きなようにやらせてあげたいんだ」

コバさんは壁にもたれてうなだれている。私は悔しくて悔しくて、子どものように大声をあげて泣きたくなった。

 

その数日後。コバさんが辞表を提出した。無機質な社内チャットは、淡々と現実を通達してきた。

(8に続く)

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