小説『I love Dogs.』(9)

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それから一か月ほど、私は営業スケジュールを理由に週に一度の出勤日に顔を出さなかった。子どもじみた嘘にクロフネが気づいていないとは思わなかったが、私にとっては嘘がバレようと、どうでも良かった。訪問予定がないときは、自宅にいた。特にすることもないので、朝からずっとベッドに寝転がり天井を見る。そんなとき、思い出すのは川村社長やコバさんと働いていた楽しかった日々だ。思い出に逃避すれば、その瞬間は楽になれる。けれど、すぐに苦痛が押し寄せる。そのギャップは日に日に大きくなり、耐え難い化け物のように思えた。もう、私の頭に登場するシューズカワムラは存在しない。あるのは、クロフネが支配する世界だけだ。苦痛が絶望へと変質していったとき、破壊衝動に駆られた私はテーブルに置いてあったガラスのコップを壁に向かって投げつけていた。ガラスが割れる音で我に返り、夕日に照らされてオレンジ色に輝く破片を眺めて切なくなった。目が熱い。気づけば、涙を流していた。

すると、スマホが一件の通知を告げた。社内チャットのアイコンが新着を知らせている。見る気はなかったが、習慣的に指がタップして開いた。それはクロフネからの通達だった。タイトルは「新メンバージョインのお知らせ」と「歓迎会」について。クロフネがいちいち横文字を使うことに、私もいちいち反応するのがバカらしくなっていたが、同時にタカツの推論に確証を得た。やはりクロフネは、コバさんを切ったお金で人材を採用したのだ。おさまりかけた怒りが再燃する。コップに続いてスマホを投げつけようとしたが、記載された歓迎会の概要を見て、今にも沸騰しそうな頭の中に電流が走った。その場に鏡があれば、能面のような自分の表情を拝めたかもしれない。私は、歓迎会に参加することをこの場で決意した。

歓迎会は、クロフネの提案で月曜日に公園で開催されることになった。クロフネいわく、ピクニックスタイルで、レジャーシートを広げ、お酒を片手にサンドウィッチでもつまみながら青空の下で語り合おうではないか、ということだ。安い青春ドラマじゃあるまいし、私たちを何歳だと思っているのだ。すっかりクロフネ派に染まりきったさとみちゃんとポニーさんは、当日の朝、事務所に集合したときにはウキウキしていて、から揚げを作ってきただの、今日のために帽子を買っただの盛り上がっている。その傍らには、当然のように犬がいる。今日の歓迎会も犬も一緒だ。久しぶりに訪れた職場は、もはやよそよそしく、自分の職場とは言いにくい雰囲気が蔓延していた。特に何が変わったわけではない。クロフネがインテリアを一気に取り替えてからはそのままではあるが、この一か月ほどで、私はよそ者に追いやられてしまったのかもしれない。私と目が合ったさとみちゃんは何か喋らないといけないと思ったのか「私服姿、新鮮ですね」と、どうでも良いことを言ってきた。いつもはスーツを着用しているが、今日は公園に行くためデニムに白Tシャツで、ブルーのチェックシャツを羽織っている。このようなカジュアルな服装で会社にやってきたのは、私とシューズカワムラとの出会いの日、そう、川村社長に面接をしてもらった日以来だ。もはや、勝手に思い出が脳内で自動再生される。はっと気づくと、事務員たちは不審そうにこちらを見ていた。どこか、意識が遠くの方にでもいっているかのように感じたのかもしれないが、それは間違いではなかった。

「グッドモーニング!」

相変わらず陽気にドアを開けたクロフネの右側には、あのゴールデンレトリバーがいた。そして、左側にはクロフネより少し背丈の低い、髪を無造作にくしゃっとしている若者がいる。

「あ、君は初めてだったね!紹介するよ、新しくジョインしてくれたマミヤくんだ。彼にはマーケティングを担当してもらっている」

クロフネから紹介されたマミヤは、私の方に近づき、右手を差し出した。

「よろしくお願いします!」

こちらも右手を差し出すと、力いっぱい握られた。クロフネとの出会いを苦々しく思い出す。

「下にレンタカーを停めているから、そろそろ出発しようか!」

クロフネの合図で下に降りることになったが、その途中、ゴールデンレトリバーのリードを引くクロフネとマミヤがやけに親しげなのが気になった。私の視線に気付いたのか、犬を入れたゲージを抱えながら歩くポニーさんがおせっかいにも教えてくれた。

「マミヤさん、社長の大学時代の後輩なんですよ」

こめかみが痛い。クロフネは、コバさんを辞めさせ、そのうえ、自分の仲間を引き入れたのか。もう信じる余地はない。クロフネは、川村社長が創り上げてきたシューズカワムラを乗っ取るつもりだ。こんなことが許されてよいのか。天誅を下さねば。

クロフネが借りてきたレンタカーは七人乗りの黒のミニバンだった。後部座席に、それぞれ犬入りのゲージを抱えた女性事務員二人が乗り込んだ。

「社長、僕が運転しますよ」

マミヤが申し出ると、クロフネは首を振った。

「いやいや、今日は君の歓迎会なんだから、僕が運転するよ」

「いやいや、それは」とマミヤも引き下がらず、とんだ茶番になっている。私は、自分が運転手役を担当することを告げた。マミヤにも礼儀はあるようで「先輩にそんな」と恐縮しきっている。クロフネも「いいのかい?アルコールを飲めなくなるよ」と気遣う振りをしてくる。お前なんかと飲むつもりはない。私は、心の中で毒づいた。

「大丈夫です。今日はマミヤくんの歓迎会ですから。さぁ行きましょう」

私はクロフネから鍵をもらうと、そそくさと運転席のドアを開けた。助手席にクロフネが、真ん中のシートにマミヤとゴールデンレトリバーが座った。社長様の犬は、ゲージにも入らず、人間と同様に一席設けられている。エンジンをかけて出発すると、最後尾の席から犬の鳴き声がやかましい。さとみちゃんんとポニーさんは慣れているのか、私たちを気遣って犬を叱ることもない。

運転中、助手席からクロフネがマミヤについての話を私にしてきた。話のメインは、マミヤがこれまでどんな経歴を歩んできたのか、といったものだ。マミヤはクロフネと同じ一流大学の出身で、若くしてこれまで大手メーカーで営業やマーケティング、広報などを担当してきたという。そんなマミヤが、他の企業からのオファーを蹴ってシューズカワムラを選んでくれたとクロフネは興奮気味に語った。マミヤはマミヤで「社長と一緒に仕事がしたかったんで」と言う。クロフネは「その『社長』っていうの恥ずかしいからやめてくれないか」と笑っている。どうだ、俺は慕われているだろう。そんなクロフネの自己顕示欲の踏み台になっていることに、このマミヤという男は気付いていないのか。哀れな奴だ。私は、適当に相槌を打ちながら、苛立ちでスピードを出し過ぎないように細心の注意を払いながら運転を続けた。

会社を出発してから四十分ほど、山の入り口にある大きな公園に到着した。ここは市民公園で、私も幼少期に幼稚園や小学校の遠足で来たことがある。天気は快晴。黄緑色の芝生と、それを囲むようにそびえたつ木々が美しかったが、それを見たところで私の気分が晴れることはない。

「トランクにレジャーシートとかドリンクを入れてあるから」

クロフネが言うと、さとみちゃんとポニーさんは座っていた座席を少し前に倒し、バッグドアから降りた。犬を入れたゲージは座席に置いたままだ。続いて、助手席のクロフネも降りる。最後にマミヤがゴールデンレトリバーを連れて降りようとしたとき、私は振り返り、やや強引にリードを奪った。マミヤは怪訝そうだったが、私の目を見て慄いているのがわかった。どういう目をしていたのか、自分ではわからない。ただ、私は「何も言わず、早く降りろ」と念じていた。マミヤは目を伏せ、気まずそうに車を降りた。それを確認すると、運転席から操作し、自動のスライドドアを閉めた。後方では、楽しそうに荷物を下ろし、雑談しているのが聞こえてくる。バックドアが閉められると、私はすべてのドアをロックした。車内には、私とゴールデンレトリバー、それから犬入りのゲージが二つ。ゴールデンレトリバーは舌を出してはぁはぁと息を吐き、ゲージの中からは甲高い鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。犬を降ろそうとドアに手をかけたクロフネが、開かないことに気付いて窓越しにサインを送ってくる。「開けてくれないか」と、口の動きが言っていた。それでも開かないので、クロフネは車体をぐるりと回って運転席までやってきた。クロフネは心配そうな表情を浮かべている。窓を二回ノックした。

ばかやろう、二回はトイレをノックするときのマナーだ。そんなことも知らないのか。

私はサイドブレーキを解除し、ギアをドライブに入れた。アクセルを踏み、急発進する。サイドミラーに一瞬見切れたクロフネは口を開けたまま間抜けな顔をしていた。ルームミラーに映るクロフネたちが追いかけてくることもない。驚きのあまり動けなくなったのか、立ちすくんだまま小さく小さくなっていった。

(10に続く)

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