ショートショート『グリーンヒーロー』

ショートショート『グリーンヒーロー』

カシャ。

小さなシャッター音に気づくと、金髪の若い男は露骨に嫌な顔をして舌打ちをした。私は右腕に付けた緑の腕章を提示しながら、こう告げた。

「歩きスマホ違反です。こちらをご確認いただけますか?」

首から提げた小型デジタルカメラの液晶画面を見せようとすると、男はそれを払うような仕草を見せた。

「もういいよ。書くから早く寄越せよ」

常習犯なのだろう。その後の流れをよく知っていて助かる。私は背負っていたリュックサックから一枚の書類を取り出し、胸ポケットに差してあったボールペンと一緒に手渡した。男はため息をつきながらも淀みなく氏名や住所を記載していく。

「おっさん、ほんと趣味悪いな。こんなことしてて楽しいわけ?」

男は紙とボールペンを乱暴に返すと、最後に「最悪」と吐き捨てて去って行った。

歩きスマホ違反を取り締まる仕事を始めたばかりの頃は、こういった悪態にいちいち傷ついていた。肩を小突かれたり、「死ね」「ハゲ」「デブ」「キモイ」などと罵声を浴びせられたりもした。まるでこちらが社会の邪魔者のように扱われるのは納得がいかず、誰もいない部屋でひとり酒を飲みながら涙を流したこともある。

でも、今では仕方のないことなのだと割り切ることができている。ある休日、たまたまつけたテレビでアニメが放送されていて、悪役が主人公に対し「この、お邪魔虫」と罵った。なるほど、そういうことか、と。悪から見た正義は悪なのか、と。悪者から、もっと嫌われてやろう。どうせ、俺には守るものもない。そんな思いで仕事に取り組んだ。

スラっと背の高い女の人が前から歩いてきた。ジャケットを羽織り、艶のある長い黒髪をなびかせて颯爽と歩く姿は女優やモデルのようだった。信号待ちで鞄からスマホを取り出すと、周囲を気にしながらも何かを打ち込みながら交差点を渡った。

カシャ。

右腕に付けた緑の腕章を見せながら近づくと、彼女は舌をペロッと出して胸の前で手を合わせた。

「ごめんなさい。見逃してもらえないですよね?」

片目をつぶる仕草が、またとても可愛い。どうしよう。でも、駄目だ。特別扱いはしてはいけない。

「それは、できません」

なんだか調子が狂う。たった一言がぎこちない。

「ですよね」

あっさりと引き下がる潔さも良い。過去には色仕掛けの真似事をして放免を狙う女もいたが、馬鹿にされているようで気分は悪かった。書類を書いているときの横顔は綺麗で、思わず見とれてしまった。

「ほんとごめんなさい。以後、気を付けます。暑い中、ご苦労さまです」

ねぎらいの言葉なんて、この仕事をしていて初めて言われた。とても、とても嬉しかった。

この女性は松岡絵里奈という名前だった。すぐに書類をチェックして覚えた。今の仕事は担当エリアが決まっているため、絵里奈をよく見かけた。この近くで働いているのか、いつもジャケットにズボンといったフォーマルな格好をしていた。こちらの存在には全く気づいていないようだった。

また絵里奈と話をしたい。しかし、あれ以来、絵里奈は歩きスマホをしなかった。善人は反省するものだ。絵里奈に罪を犯してもらいたいと願っている自分がいることに愕然とした。大げさに首を振って、非道な考えを打ち消した。

ある日を境に絵里奈の姿を全く見かけなくなった。転勤か転職をしたのだろうか、それはわからない。せめて、もう一度だけでも会いたい。そんなふうに思ってしまった。仕事で撮影した写真データは当然のことながらすべて管理事務所に届けなければならない。記憶の中だけでは、もう満足できなくなっていた。

見るだけなら構わないだろう。頭に叩き込んだ絵里奈の自宅住所を思い出していた。

電車を乗り継いで向かうと、2階建ての小さなマンションがあった。すぐ近くのコンビニで雑誌を読みながら様子をうかがっていると、出てきた。絵里奈だ。今日は日曜だから仕事は休みのだろう。白のTシャツにジーンズを履いているが、スタイルが際立ってそそられる。

後を追った。一目見るだけと思っていたのに、やっぱり話をしたい。でも、声なんてかけられないし、今日は俺も非番だ。ここで絵里奈が歩きスマホをしたとしても、俺には取り締まる権限がない。絵里奈の歩く速度は速く、こちらの方が早足になる。

信号待ち。隣には絵里奈が立っている。身体中から汗が噴き出した。話をしたい。でも話かけることなんてできない。

そうだ。

カシャ。

振り返ると、男が近づいてくる。腕に付けた緑の腕章を提示しながら、こう告げた。

「歩きスマホ違反です。こちらをご確認いただけますか?」

俺は職を失うかもしれない。取り締まる側の人間が違反をしてしまったのだから。

それでも、構わない。絵里奈の写真を撮れたのだから。

fin.

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